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三千年以上の歴史を持つ「書」の魅力を
さまざまなシーンに取り入れることで、
空間や気持ちに「ゆとり」が生まれます
書の展示室
詳しい購入方法は下記ページをご覧ください。
心安体亦舒
読み方
心安らかにして体も亦た舒ぶ
解説
こころが安らかであれば体もまたのびのびする
出典
白楽天
白居易 (772~846) 中国、中唐期の詩人。字(あざな)は楽天。
日本の平安文学に大きな影響を与えた人物。
書体
隷書
紙の寸法
35×65cm
額の寸法
47×93cm
170,000円
渓声洗耳清 松蓋触眼緑
読み方
渓声 耳を洗いて清し、松蓋 眼に触れて緑
解説
谷川を流れる水音が耳を洗い清め、松の緑が眼を清める、の意。自然は仏の姿そのものであり、俗世間の煩悩や妄想に汚された耳や眼を洗い清めてくれるということ。(禅林より)
出典
禅語
書体
隷書
紙の寸法
35×45cm
額の寸法
51×61cm
因禍為福 成敗之転 譬若糾縄
読み方
禍によりて福となす、成敗の転ずること、譬わば 糾える縄のごとし
解説
幸福と不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくるということ。災禍と幸福とは糾った縄のように表裏一体である。
「禍福は糾える縄の如し」
出典
史記
書体
隷書
紙の寸法
35×45cm
額の寸法
51×61cm
200,000円
清風動脩竹
読み方
清風 脩竹(しゅうちく)を動かす
解説
爽やかな風が竹林を揺らす、の意。その風がやむと、竹林は何事もなかったかのように静まり返る。「清風」は経典を、「竹林」は私たちの心を表す。(禅林より)
出典
虚堂録
書体
隷書
紙の寸法
32×110cm
150,000円
花発無根樹 魚跳萬仞峰
読み方
花はひらく 無根の樹、魚は跳ねる 萬仞(まんじん)の峰
解説
根のない樹木に花が咲き、高峰で魚が飛び跳ねている、の意。理屈では説明できないことも心の世界では起こり得るということで、世俗の常識を超えた無心の境地を表す。(禅林より)
出典
「五灯会元」
書体
楷書
紙の寸法
35×45cm
額の寸法
51×61cm
200,000円
風雨無私随処施 須知四海一雷同
読み方
風雨 私なく 随処に施く、すべからく知るべし 四海一に雷同せんことを
解説
雨風には私心がなく、差別なく何処にも吹いたり降ってくれたりする。そこで人間も誰彼の差別なく利生を与えてあげるべきことを知らなければならない。それは雷が音を発して万物がこれに応じてひびきを伝えるように。人間は、偉大な大自然の恩恵に対し、素直にこれに応えなければならない。(禅林より)
出典
円璽「聖一国師語録」
円爾 弁円 (1202~1280)。鎌倉中期の臨済宗の僧。駿河の人。
5歳で久能山の堯弁の室に入り、次いで三井寺で天台を学び、東大寺で受戒、さらに上野世良田の長楽寺の宋朝、鎌倉寿福寺の行勇について禅を修めた。
書体
行草書
紙の寸法
36×68cm
額の寸法
47×93cm
300,000円
「南山中新羅道者見過」 空海詩
読み方
吾住此山不記春 空観雲日不見人 新羅道者幽尋意 持錫飛来恰如神
解説
入唐した弘法大師空海が終南山で修行中、尋ねてきた新羅道人に贈ったという詩
平成9年の秋、空海弘法大師が行脚したといわれる四国88箇所巡礼に挑む。
正に同行二人の感があり、今まで体験したことが無い不思議なものと出会う。まるで曼荼羅の中を歩き回るかのよう、自分の心とじっくり向き合いながら空海の偉業を体感できる実りの多い旅となりました。
下記、当時の紀行文の中で綴ったふたつの思い:
畏敬の感
鬱蒼と茂った薄暗い森に入り込む。
冷たい湿気が身の骨までしみて
震えがくる。
険阻な山道にゆっくり登り、
切り立った断崖の端まで至って
金剛杖を強く握る
横峰地へと向かって一歩一歩進んでゆく。
金剛福寺
足摺岬に太陽が輝き
やさしい風が顔を撫でる
展望台に立ち、太平洋の息吹
雲ひとつない青空を仰ぐ
書体
草書
紙の寸法
53×150cm
170,000円
男児立志出郷関 学若無成不復還
読み方
男児 志を立てて郷関を出ず、学若し成る無くんば復還らず
出典
月性詩
月性 (1817~1858) 江戸末期の浄土真宗の僧。
周防(山口県)の妙園寺の住職。
仏道を学んだが、各地の漢学者の門をたたき詩作にも精を出した。志士と交友、尊王攘夷・海防論を唱えた。
解説
来日して間もない、日本語を本格的に勉強しようと思って、二年間、旧清水市お住まいの望月先生のお宅に通うことになった。レッスンは一時間半畳の上で正座して、先生の鋭い眼光を受けながら、自分に与えられた課題に集中するのみ。日本語の勉強はもちろんのことだが、それ以外にも、日本の思想、特に日本における道徳を真摯に教えて下さった。そして、毎週、作文を書いてくるというのはお約束だった。
最初に書いた作文は日本に来た動機についてのものだった。先生 がそれを読まれて、そして添削して下さった後、暫らく締め括りの言葉をお考えになった。と、ちょうどそのとき、部屋に入ってこられた先生のご主人が「学若し成る無くんば復還らず」とさりげなく提案して下さって、その場で決まったというエピソードが印象に残っている。
あの時から二十年余が経った今。卒寿を過ぎた望月先生ご夫妻は 今もご健在で、相変わらず向上心を持っておられる。やはり、志をもって“今”を精一杯生きようとする人間は“うつくしい”と思う。
書体
草書
紙の寸法
35×65cm
270,000円
「夢親」 細井 徳民詩
読み方
芳艸萋萋日日新 動人帰思不勝春 郷関此去三千里 昨夢高堂謁老親
芳艸萋萋日日新たなり、人の帰思を動かして春に勝えず
郷関ここを去る三千里、昨夢高堂老親に謁す
出典
細井 平州 (1728~1801)
江戸中期の儒学者。尾張(愛知県)の人。
解説
若い時から倹約しては本を買い求め勉学に励んだ。「学問の要は徳を成すに在りて学派に在らず」と言い、折衷学の立場をとった。自然を尊重し、それに基づく教育を主張し、習いを重んじた。
詩は、長崎で学んでいる時、故郷の両親を夢見て作ったもの。青年時 代の作である。長崎での生活は、友人三人と義兄弟の約を結び、日夜切磋琢磨するというものであった。(新書漢文大系・日本漢詩)
書体
草書
紙の寸法
35×125cm
170,000円
禦寒無如重裘 息謗無如自修 山岡鐵舟〈臨意〉
読み方
禦寒に関しては重裘にまさるものはない(それと同じように) 息謗に関して自修にまさるものはない
出典
山岡鐵舟 (1836~1888)
激動の幕末・明治を駆け抜けた剣・禅・書の達人
慶応4年(1868)の戊辰戦争のとき鐵舟は、徳川慶喜の恭順の意を伝えるため西郷隆盛と静岡で面談、その後の江戸城無血開城に繋がる功績で有名。また、明治になって明治天皇の侍従などをつとめた。
解説
フランス、二十歳の頃、はじめて山岡鐵舟のことを知る。
その後、来日し、旧清水市の禅寺鐵舟寺と静岡・山岡鐵舟会とのご縁 があり、山岡鐵舟の精神に触れる数々の機会に恵まれる。
その人物を学び、その歴史を知る。そして、その教えを今に活かすと いう作業に意義があると考えている。私にとって、鐵舟は鑑であり、自分の背骨を意識させ、根本たるものに対する姿勢を導いてくれる存在である。
下記、肝に銘じる山岡鐵舟の言葉:
「自然は教師なり、自然を眺めて学び、自然に即して考える」
「無刀とは何であろうか。心のほかにはないということである。
敵と相対する時、刀によってではなく、心をもって相手の心を打つ。
これを無刀というのである」
「心身ともに忘れ、自ずから天地万物、一筆に帰するの妙」
「窘於外貌而少精神」 外貌にたしなみて精神少なし
外見にこだわり、内に秘められた精神を知る者は少ない、の意。書を 論じる者に対して山岡鐵舟が残した言葉。形や書法より込められた精神が大切だと説く。
書体
草書
紙の寸法
35×70cm
250,000円
長養
杉本貞光氏の師匠は「長養」という言葉について、次の様に解説される:
「禅のほうでは「長養」ということを非常にたいせつにしていると聞いておりますが、この「長養」とはどういうことなのですか?それはまた、私たちの生き方とも関係のあることなのでしょうか?(…)
「真の悟りの生活とは何かということは、これはなかなか口で説明できるものではありません。長い時間をかけて、自己というものを眺め尽くす必要があるのです。それが長養ということの意味です。自分は確かに悟りはしたが、しかしこのままでは一種の「悟り合い」に陥るおそれがある。得たものが、はたして本質的なものであったかどうかを確認するために、またその本質を二度と失わないために、さらにいっそう磨きをかけ、また自分でもう一度焼き直してみること、それを長養というのです。
陶器でも、窯から出したばかりでは、まだ荒々しい。それが、一時間、二時間とたつうちに、娑婆の風に当たることによってぐんぐん変化していく。それからさらに、それを使っているうちに、また変化する。そうして、本質のものが出てくる。ほんとうの味が出てくる。これが長養ということです。
こうした長養という観念は、ある意味では非常に東洋的なものです。建築などでも、年代がたたないと、日本建築のよさが見えてこないということがあります。つまりそれは、三百年たった時間のよろこびということなのです。
ほんとうのものは、ある時間をかけてそれを温めなければ生まれてこないという思想、こうした長養の思想は、非常にたいせつにすべきものです。」
(なぜ、いま禅なのか?「足る」を知れ!より)
読み方
ちょうよう
書体
篆書
紙の寸法
35×53cm
額の寸法
45×75cm
270,000円
当機
読み方
とうき
解説
「当機」とは、機を逸せず、まさにその機にぴたりと当たることを
言います。機が熟する、という言葉がありますが、機が十分に熟した
ときに、あるきっかけで人はハッと目覚めるのです。
出典
碧巌録
書体
草書
紙の寸法
35×68cm
額の寸法
47×93cm (漆)
150,000円
稲
読み方
いね
解説
古い字形を見れば自然と人間、そして神々との関係がいかに密接であるかがよく分かると思う。臼の中のものを手ですくいとる形と全体の構造を眺めてみると弥生時代の風景とその文化を連想できるのではないでしょうか。
稲は東洋人の生活にどれだけ関わっているか、この字に表れている と思う。
書体
篆書
紙の寸法
29×35cm
額の寸法
47×55cm
150,000円
樸
読み方
あらき
解説
原義は、切り出したままの木です。
ありのままで飾り気がない、それがまた人間本来の姿であるという 考え。人間社会の中で生活する“大人”になった我々にとって、この樸を守りながら成長しいくことが生きる上で一つの課題であるのかもしれない。
書体
篆書
紙の寸法
35×45cm
額の寸法
51×61cm
200,000円
鑑覚聞知照燭
読み方
かんかくもんちしょうそく
解説
見聞覚知の働きをする。
人間が本来持っている能力を十分に発揮できる状態にする為には、先ず、それらの能力に気づくことがその第一歩であろう。そこで、気づくための“きっかけ”が必要になってくるけれども、それは広い意味で言えば、身に置かれたその“環境”が必然的に作ってくれると思う。潜在する能力に気づくこと、引き出すこと、そして研ぎ澄ますことによって、はっきり見えてくるものがあると思う。
出典
臨済録
書体
破体
紙の寸法
32.5×53cm
130,000円
守破離
読み方
しゅ・は・り
解説
日本での茶道、武道、伝統芸能などにおける師弟関係のあり方の一つ。
もとは千利休の訓とまとめた「利休の道歌」の一つ「規矩作法守り尽く して破るとも離れるとも本を忘れるな」。
日本の伝統文化を体験し、精進していく内に、必ずあらわれてくる 課題だと思う。長い過程の中で、「型」というものとどう付き合っていくか、東洋思想においての「個」の位置付け、創造と伝承等々、温故知新にも繋がる、道を求める者にあたえられる“公案”だという風に感じる。
書体
行草書
紙の寸法
29×35cm
額の寸法
47×55cm
150,000円
「偶作」 良寛詩
読み方
歩随流水覓源泉 行到源頭却惘然 始悟真源行不到 倚?随処弄潺湲
歩して流水に随って源泉を覓む、行きて源頭に到って却って惘然。始めて悟る真源行き到らざるを、?に倚り随処に潺湲を弄せん。
解説
歩いて流れに沿うて水源地を求め、やっと辿りついてみたら、これは何としたこと、あの滔々たる流れはどこにもない。ただただ呆然としてしまった。そこで、やっとわかった。「真実の源を遠く探しても、到底そこまでゆけるものではない。まあ、それぞれの場所に従い、杖にもたれ、谷川の流れをすくってみることである。清流はそこに厳然として存在しているのである。世事万般、まずはこんなものであろう」と。(日本漢詩より)
実は、私と良寛との出会いは二十代の頃で「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」という句を拝見したことがきっかけ。
晩年に交流の深かった貞心尼に向けられた句だが、それを拝読したときに、自分自身も年老いたら、心に思う人に対してこのような味わい深い表現ができたらいいなあという思いが一瞬頭をよぎったことを今でも鮮明に記憶している。
良寛の場合は詩も書も同様。要するに無造作で良寛そのもの、良寛の生活のあらわれである。我々凡人には良寛の書風を拝見する時、忘れかけている童心のようなものを感じると同時に自分の心の中でそうでありたいと一瞬の淡い憧れを抱く、そういう心情になると思う。しかし、それはあくまでも良寛の景色である。我々はただの傍観者のようにその窓の後ろから見ているだけのことなのではないかと自分の心に問う正直さが必要であるような気がしてならない。
良寛はやはり真似できない。その人の生き様と表現が伴って、初めて本物が生まれると言えるのではないでしょうか。
書体
草隷・破体
紙の寸法
35×45cm
額の寸法
51×61cm
130,000円
薫陶
読み方
くんとう
解説
《香りをたいて薫りを染み込ませ、土をこねて形を整えながら陶器を作り上げる意から》徳の力で人を感化し、教育すること。(大辞泉より)
真の徳とは何か?それは言葉で以て顕れるものではないと思う。自然のはたらきに逆らわない者には内なる徳が必然的に整っているという考えに共感する。
時に“師”の働きかけと、それを感じ取る人の心とが通じ、相交わることがある。師と弟子とが相統合すること、いわゆる“感応道交”も、この“薫陶”の効用に似ている。
嗅覚と触覚との要素を含む薫陶は魅力的で味わいのある言葉ではないでしょうか。
書体
草書
紙の寸法
半紙
額の寸法
43×57cm
150,000円
望
読み方
のぞむ
解説
この字は人がお月さまを仰ぐ形です。
フランスに住んでいた頃はお日さまをよく眺めていた。特に、私の第二のふるさとであるキブロン半島では、大西洋に沈む夕日は心をなごむ神秘的な光景であるといつも懐かしく思い出す。日出ずる国に居を構えた今も、それには変わりがないけれども、日本人である妻にお月さまの美しさを教えられて、仰ぎ見るようになった。遠く離れている無数の星、そのまぶしい光と淡い光、目に見える“面”と目に見えない“なにか”、我々に何をなげかけるのでしょうか。
書体
篆書
紙の寸法
半紙
額の寸法
43×57cm
70,000円
朧
読み方
おぼろげ
解説
清水の鐵舟寺にて、源義経所持と伝えられる“薄墨の笛”を聴いた時の朧月を思い出す。幻想的で、笛の音色とお月さまの様子とが相俟って、吸い込まれるような感覚を味わった覚えがある。
日本には、目に見えない、おぼろげな、人を包むような“力”があると強く感じる。
書体
行書
紙の寸法
半紙
額の寸法
35×45cm
70,000円
體験
読み方
たいけん
解説
その場に居なければ、肌で感じることが出来ない、そして身体を実際に動かさなければ、体得することも出来ない。その考えが元で、“日本を生きる”と決心した理由の一つである。
異なる環境に応じるためにあらゆるものを受け入れる器を整えておかなければならない。それにはただしい呼吸のごとく、まず吐く作業を行ってから、五感を研ぎ澄ませて物事に接することが肝要であろう。そして入ってくるものをじゅうぶん咀嚼した上で消化という過程がはじめて始まる。当然ながら吸収できるものがあれば、消化しきれず排泄するものもある。それを「腹のはたらき」だという風にわたくしは表現したい。
体験によって一瞬にして得られるものもあれば、長い過程の中で、“やってくるもの”もある。又、ある時、それを確かめる必要もある。
日本の土壌、その確たるものを身につけたければ、体験は、欠かせない条件であると確信している。
書体
草書
紙の寸法
半紙
額の寸法
35×45cm